大判例

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大阪高等裁判所 昭和26年(う)906号 判決

本籍

大阪市東淀川区西中島町二丁目四十五番地

住居

同市 同 区木川東之町二丁目四十一番地

外交員

吉村繁男

明治三十八年七月十日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について昭和二十六年二月二十日大阪地方裁判所の言渡した判決に対し検察官及び被告人からそれぞれ控訴の申立があつたので当裁判所は左のごとく判決する。

主文

本件控訴はいずれもこれを棄却する。

理由

弁護人吉野周造同銀島万作の各控訴趣意について

原判決及びその挙示する証拠によると、被告人の得た百六十余万円の手数料収入というのは、被告人が大阪貯蓄信用組合に対し継続的に多数預金者を仲介したことにより謝礼もしくは手数料として受け取つたものの集計であり、被告人としては右取引はすべて組合の業務行為なることを信じて行つたものであることが窺われるのであつて、このような収入は所得税法施行規則第七条の三の十二所定「対価を得て継続的に行う事業」による収入と解すべきであり所得税法第九条第一項第四号第一条第二項第一号にいわゆる事業所得なりと解するを相当とすべく、これをもつて不法領得のゆえをもつて所得税法上の課税対象にならない旨の所論には左袒するを得ない。

また被告人は前叙手数料収入を右組合に預入れていたことが援用の証拠により明らかであるが、所論の欠損または還付というのは、要するに組合の破綻により払戻を受け得なくなつたとか、あるいは預金債権を預金者の利益のため処分(提供)したというのであつて一旦被告人の所得に帰し預金したところ回収不能となりあるいは任意に処分したというのに過ぎず、これを理由として所得の発生自体を否定しようとする所論は理解し難いところである。

更に所得申告は所轄税務署に対しなすべきこと所得税法上明白であるから、検察庁あるいは被害者団体代表者に申出でたとしても、これをもつて適法な申告ありというを得ないこともちろんであるのみならず原判決採用の証拠によると被告人は所得税を免かれる目的でことさらに本件手数料所得をかくし、その記載のない虚偽の申告をしたことが明らかであるから、被告人に所得税逋脱の認識がなかつた旨の所論もまた失当である。

検察官の控訴趣意について

所論に鑑み記録を精査してみても被告人に対する原審の科刑をもつて軽過ぎるとは認め難い。

よつて、刑事訴訟法第三百九十六条に従い主文のとおり判決をする。

検事某関与

昭和二十五年七月十六日

控訴趣意書

被告人 吉村繁男

右の者に対する所得税法違反被告事件に付いて昭和二十六年二月二十日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し控訴の申立をした理由は左の通りである。

理由

原判決は被告人が昭和二十四年度に於て合計百七十四万二百八十九円(此の税額百十二万三千八百六十円)の所得があつたのにその大部分を他人名儀で預金して隠匿し所轄税務署に対しては同年度の所得として九万三千二百九十円(此の税額一万七千二百円)だけを記載した虚偽の確定申告書を提出する等不正行為に依り同年度の所得税金百十万六千六百六十円を納付しないで逋脱した事実を認定し、被告人に対し懲役四月但し執行猶予二年の刑を言渡したが、その量刑は左記の理由に依り著しく軽すぎるのである。

左記

一、被告人は実所得額百七十四万二百八十九円に対して所轄署に申告した所得額はその十八分の一にも足らない僅か九万三千二百九十円である。

二、所得額の大部分を構成しているのは大阪貯蓄信用組合の預金仲介による手数料であるが既に顕著な事実である通り大阪貯蓄信用組合は事業を閉鎖し預金の支払いが出来ない状態であるから、被告人はその仲介行為によつて多数の預金者に多大の損害を及ぼしているのである。

三、被告人は原判決認定の通り昭和二十三年度に於ても脱税しているのである。

四、被告人は大阪貯蓄信用組合に対する自己の預金百五十八万円を預金代表者と称する南清に提供しているが同組合は前記の如く事業を閉鎖しその預金は無価値に等しいものであるからその提供は何らの意味もないものである。

昭和二十六年四月 日

大阪地方検察庁検事正代理検事

大阪高等裁判所 御中

控訴趣意書

被告人 吉村繁男

一、納税と云う公法上の義務の存在と脱税犯の成否とは区別しなければならない。納税義務の懈怠が脱税犯になるためには客観的に不正の行為がありその行為と脱税犯との間に相当因果関係がある外、主観的に脱税の認識を要することは勿論であると存じます。(大阪高等裁判所 昭和二十四年(を)第一〇五八号)

二、原判決は

被告人は(イ)第一生命相互会社大阪支社(ロ)日本勧業証券株式会社大阪支店(ハ)昭和電機工業株式会社に外交員として勤務すると共に(ニ)大阪貯蓄信用組合に対する預金の仲介業をしていたものであるところ昭和二十四年中に於ける所得は右(イ)より受けた給与所得一万七千三百十六円右(ロ)より受けた給与所得三万七千七十三円右(ハ)より受けた給与所得五万二千五百円及右(ニ)に対する預金仲介手数料に依る事業所得百六十三万三千四百円以上合計百七十四万二百八十九円(此の所得税額百十二万三千八百六十円)になるに拘らず所得税を逋脱する意図の下に右所得の大部分を他人名儀で預金して隠匿し昭和二十五年二月二十二日所轄淀川税務署に対し昭和二十四年度の所得として右事業所得を全く記載せず給与所得として九万三千二百九十円(此の所得税額一万七千二百円)だけを記載した虚偽の確定申告書を提出する等不正行為により同年度の所得税金百十六万六千六百六十円を納付せずして逋脱したものである。

と判示しているが此の判決は誤りであると存じます。

三、課税対照となつた事業は昭和二十四年十一月二十六日大阪貯蓄信用組合の支払停止に引続く大阪府の閉鎖命令、関係重役の逮捕起訴、組合の解散により少くとも被告人は百五十八万円を欠損しているのであります。

此の欠損は現在に於ては確定的であつて厘毫の支払を受け得る希望は無いのでありますが当時に於て未だ組合の内容(資産)が明確ならず、預金の払戻を受け得るかも知れないと期待し得た時期でありましたので此の不正所得を被害者に還元し損害を補填しようとし、之を被害者団体(債権者団体)に提供したのであります。従つて…………かくの如き所得が所得税法の課税対照となるとしても…………二十四年度には所得が無かつたのであります。

(イ) 現在から云えば当時客観的に所得が無かつたのでありますからこの所得を申告しなかつたとしても税法違反にはなりません。

(ロ) 債権者団体の代表者南清氏等は自らの被害填補に急ぐの余り法律上の知識を欠く被告人に対し此の預金を提供しなければ税金として取られて了う。それよりは自分達に提供すれば税金もかからぬやうにしてやるからと被告人を説得し、其の預金を提供さしているのでありますが其の際原判決の云うが如く南清は右利得に対する課税につき関係方面に対し免税方を運動する旨を約したことは事実であるが、此の事実があつたとして「当時客観的に欠損」であつたものが「利得に変質」する筈はありません。

原判決の理由は理由にならぬと思います。

(ハ) 窃盗罪の被告人が盗取したからと言つて盗取物件を被害者に還付していれば、それだけの利得があつたとは云えないでしよう。本件につき検察庁が違法行為として捜査を開始し被告人も亦之を違法の行為と確信し、之を被害者に還付した本件は…………仮りに違法行為で無いとしても違法と信ずべき正当の理由がありますから………窃取物件の取扱と同じく所得があつたとは言えません。

(ニ) 本件の組合役員の預金を集める行為は正常なる組合業務として行はれたのではありません。組合役員たる地位を利用し之を手段として詐取し、組合業務としてで無く個人的に組合の名によつて他人に貸与し利得しようとしたのであります。…………従つて被告人等の預金も組合業務として預金したのではなく全く組合の名を利用して月一割――一割二、三分の高利を収納したのでありまして…………全く木下等を主犯とする詐欺横領の事件につき被告人等は之が従犯者たる地位にありまして、之を所得税法の課税対象とするのは全く誤であります。

四、被告人が本件に関連して被疑者として大阪地方検察庁から捜査を受くるやうになつたのは昭和二十四年十一月一日以前…………即ち当該事業年度中…………であつて被告人は其の事業所得をあげて検察庁の指示により被害者に還付する旨を申出ているのであります。

窃盗被告人が盗品を被害者に還付しても盗品価格相当の所得があつたものとして課税の対照とならぬことは勿論である。被告人が検察庁から其の不正利得に関し調査が開始される為め之を不正利得に関するものとして国家に対し其の指示により被害者に還付すると申出ている以上其の後に国家に対し其の不正利得を利得無きものとして申告しなかつたとして脱税犯の成立要件たる脱税の認識があつたものとは言えないと思ひます。

税法によると所得税の申告は税務当局に対し、しなければならぬ事は勿論でありますが税務署えの申告実質的には国家えの申告でありますから検察庁に申告し其の処分を国家に一任し、国家が其の指示を懈怠したからと云つて脱税の認識があつたとは云えないと思います。

五、且つ被告人はこの所得の事業年度中にこれを被害者に還付する様被害者団体より交渉を受け所得申告期日の二十日前たる昭和二十五年一月十日に預金証書に依り百五十八万円を提供しその被害者団体の代表者から検察庁其他の関係方面にこれが交渉を開始しているのであるから二月二十三日に脱税の認識に於て此の事業所得の申告をしなかつたものとは言えない。原判決は誤りであると思います。

六、信用組合の閉鎖によりその年度中に所得相当額が欠損となり事実上所得が無くなつた場合は、税法上は所得があつたものとして納税の義務があるとしても此の事実が政府に於て顕著であり義務者がこれを明確にしている場合には、更生決定と執行の方法で処理すべきであつて脱税犯として取扱うべきではないと存じます。

七、官公吏は申す迄もなく公の奉仕者であるから人民がその誤解により犯罪を犯さんとする場合には、其の誤解を解明すべきであつて之を懈怠して告発する如きは極言すれば人民を犯罪に陥穿して其の苦痛を見て喝采するものとの非難を受けても止むを得ないと言える。本件起訴の不均衡に関しても特に関心を御願します。

八、以上の理由により原判決を取消し被告人を無罪とすることの御裁判を求むる次第であります。

昭和二十六年四月三十日

右弁護人 古野周蔵

大阪高等裁判所第一刑事部 御中

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